誰でもが読みやすい本の出版をめざして
松井 進
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はじめに 「私と歩んだ盲導犬クリナムの生きた記録を残したい!」 これが私が本を出 版したいと考えたそもそものきっかけでした。
そして視覚障害者である私が、折角本を出版するのであれば、「私たち障害者 を含めた誰でもが読みやすい本にしたい」と考え、このたび日本で初めての「バ リアフリー同時出版」を試みました。
「バリアフリー同時出版」とは、一般文字の本の他、大活字版・点字版・朗読 テープ版・CD−ROM版(マルチメディアDAISY規格、CDデジタル録音図書) の五媒体を同時に発行するという方法です。
この出版形態により、子どもから大人、高齢者、いままで通常の方法による読 書が困難とされてきた障害者でも、それぞれに適した方法で気軽に読書を楽しん でいただくことができます。
私が実現したいと考え、こだわり、実践したこのたびの出版形態について、こ れから簡単にご紹介させていただきたいと思います。
本書の概要
私が書いた本の書名は
「二人五脚(ににんごきゃく) 〜盲導犬クリナムと歩 んだ7年の記録〜」
(実業之日本社刊)というものです。本来人の二本の足と犬 の足四本を加えると六脚になりますが、人間がする二人三脚のように、物理的に は足は結んではいないものの、盲導犬との歩行は人の心と犬の心を一つにして安 全に歩くという重要な共同作業をしている人犬一体という意味から、あえて二人 六脚ではなく、「二人五脚」としました。
本書は、従来の盲導犬関係の図書とは異なり、盲導犬と生活して良かった点だ けでなく、さまざまな失敗談や、飲食店や宿泊施設等、まだまだ低い盲導犬に対 する社会の認識不足からおこった利用拒否の経験談、盲導犬の定義、盲導犬に関 する道路交通法等の法令も盛り込んでいます。
この本の大まかなストーリーは、クリナムという犬が産まれてから、飼育奉仕 者の家庭で子供時代を過ごし、盲導犬協会で訓練を受け、私という使用者とめぐ り会い、そして一緒に生活してきた様子がありのままの等身大の姿で描かれてい ます。クリナムとともに出かけたさまざまな旅行や毎日の通勤ラッシュ、クリナ ムがいたからこそ決断することのできた私の眼球摘出手術、妻との出会い、そし て結婚、娘の誕生、クリナムの病気の発見と病魔との戦い、そして最後に迎えた クリナムの死……。この本はかけぬけていったクリナムと私の人生の軌跡です。
「バリアフリー出版」を行おうと思ったきっかけ
私は先天性の弱視児として生まれ、今までに弱視の状態から強度の弱視、そし て全盲となり、使用する文字も普通の大きさの文字から始まり、拡大文字、点字 へと変化していきました。また読書の手段として、点字以外にも、朗読テープや 最近ではDAISYと呼ばれるCDに録音されたデジタル図書をよく利用しています。 ただ私たちが本を読みたいと考えた場合、どうしても点訳や朗読のボランティア の方または図書館等に制作を依頼しなければなりません。点訳については著作権 法37条により、点字による複製は、営利団体、非営利団体を問わず許諾の必要 がなく、自由に行うことができるよう保証されていますが、音訳(朗読テープ化) や大活字、マルチメディアDAISY版の資料を制作しようとした場合、点字図書館が 音訳図書を製作する場合をのぞいて、ボランティアやNPOなど非営利団体が製 作する場合でも、著作権者の許諾が必要です。また著作者が快諾していただけな ければ、どんな良い本、ベストセラーになっている本でも、視覚障害者等活字に よる読書の困難な人には全く読むことができません。 ボランティア団体ではな く、音訳や大活字を専門に行っている出版社等の営利団体が、それぞれの媒体を 製作する場合には、そのハードルはもっと高く、通常の二次出版の際と同様、著 作権者の許諾のほか、ほとんどの場合、出版社の許諾が必要であり、それぞれ出 版契約により、一定の著作権料、出版権料が支払われるのが通常です。
そのため通常私たち視覚障害者が本を読みたいと思った場合、著作権許諾と実 際の作業等で順調にいって3カ月、場合によっては半年以上待たされる結果にな ってしまいます。そして点訳や音訳(朗読テープ化)された本が私たちの手元に 届いた頃には、話題になっていた本も周りから忘れられてしまっているというこ とがよくあります。私はこのような経験から、一般文字の出版に併せ、点訳版や 音訳版、大活字版等を同時に出版できるようにするため、専門会社に、制作・販 売をお願いし、出版社側の協力として二次出版権の放棄と、ゲラの段階での紙と パソコンのデータの提供、それにPR等を依頼しました。
また私は仕事で、県が作成した行政資料等の点訳版や音訳版、大活字版、DAIS Y版を制作しています。このような資料を作るにあたり、あらかじめ制作初期の段 階から「バリアフリー」を意識しておくことで、原稿執筆時に使用したワープロ やパソコン等で作った元データを使用することができるため、後から点訳等を行 うよりよほど早く、楽に作ることができることを実体験しています。また発行側 にバリアフリーの意識さえあれば、発行の段階から誰でもが読める形で情報を提 供することができるという事実を証明してみたいという願いもありました。
「バリアフリー」や「ユニバーサルデザイン」という言葉は、現状ではどうし てもイメージ的に施設や道具に偏ってしまい、物の世界の言葉のようになってし まっていますが、情報提供、特に出版の世界にも「バリアフリー」の意識を広げ たかったのです。今回のバリアフリー同時出版にご協力くださった関係各社は、 いずれもいままで小規模ながらも私たち視覚障害者の読書や情報環境について真 剣に考え、協力してくださっていた企業であり、各媒体の専門家集団であるとと もに、技術的にも高い水準の企業です。それらの企業の存在や、点字や大活字、 朗読テープ、マルチメディアDAISY版等の媒体の存在を、このたびの出版を通して 広く一般の方に知っていただき、私の著書が、いろいろな媒体の見本となってく れればいいという願いもありました。またこれらの媒体を用意することで、視覚 障害者等活字による読書の困難な人でも、同時に情報を享受することができると いうことを、本を書いておられる著者の方や出版社の方にも是非知っていただき たかったのです。そして願わくは「バリアフリー出版」の必要性について多くの 方にご理解いただき、今後につなげたいという希望もありました。
一般文字版の特徴
私はこの本の一般文字版についても、いくつかのこだわりがありました。まず 本の活字を普通の図書に比べやや大きめにした他、ルビを増やしてだれにでも読 みやすいようにしています。また表紙と裏表紙に点字と点図を立体印刷し、どな たでも点字に直接触れていただけるようにしています。点字は透明な樹脂で印刷 されているため、一般の健常者の方が目で見て内容を把握するための通常の表紙 を損なうことなく、指先でも触れられる「共用品」をめざしました。
大活字版について
大活字版は、全国に20万人以上といわれている弱視者や低視力の方、高齢者 の方が裸眼で楽に読めるように配慮されたものです。弱視者はその原因となる疾 患や視力の状態により見え方がかなり異なるため、その多様な状態に対応できる ようにしていただきました。文字サイズは大活字版で標準の22ポイントの本の 他、注文で14ポイントから28ポイントの範囲から選択することができ、文字 の種類は、太ゴシック体等の3種類から選ぶことができます。組版についても縦 一段組と横一段組の二種類が選べ、本のサイズも菊判とB5判の二種類から選択 することができるようになっています。この「大活字オンデマンド出版」と呼ば れる注文制作の実現により、読まれる方の見え方に応じ、大変きめ細かな形で読 みやすい本をお選びいただくことができます。
マルチメディアDAISY版の発行へのこだわり
私がこのたびの同時出版で特にこだわったのが、マルチメディアDAISY版の発行 でした。私たち視覚障害者にとって、録音図書は点字図書と並んで大切な読書の 手段ですが、DAISY(Digital Audio-based Information System「デジタル音声情 報システム」)とは、従来のカセットテープに変わりCDに録音するシステムで、 音質の劣化がなく、1枚のCDに約50時間と長時間の録音が可能であり、章や 節、ページ単位での移動や目次からのジャンプ、文字列の検索が容易にできるの が特徴です。また今回発行したマルチメディアDAISY版は、音声だけでなく、パソ コンの画面上に本文や表紙、文中に使用した写真等も同時に表示できるのが特徴 で、視覚障害者はもちろん、いままで通常の方法による読書が困難とされてきた 学習障害者や、本をめくることのできない重度の身体障害者の方でも、特殊なキ ーボードやマウス、ジョイスティックやアイコンタクト(瞬きでパソコンを操作 する方法)等で読書を楽しんでいただけるということにあります。特にマルチメ ディアDAISY版については、今まで研究段階であり、私の著書が市販される初めて のケースとなりました。
価格のバリアフリーについて
一般文字の本の価格は1,500円(税別)ですが、それ以外の各メディアの 価格については、販売個数がそれほど見込めないため、どうしても高額になって しまいます。制作にかかるコストを販売見込み数で割るため、どうしても一般文 字の本に比べ数倍から数十倍になってしまうのが現状です。それでも点字版につ いては、国の価格差補償制度があり、重度の視覚障害者の方は申請の手続きをす ることで原本と同じ価格で購入することができますが、その他の媒体では、すべ て読みたいと思った読者の方の負担です。同じ本を読むという行為に対し、負担 すべきコストがあまりにも違うというのはやはり大きな疑問を感じずにはいられ ません。今後は「価格差補償の枠」を音訳版や大活字版、DAISY版にも広げていく 必要性を改めて感じました。
終わりに
「バリアフリー同時出版」は、私たち通常の方法による読書の困難な障害者の 悲願でした。本当は私のような素人の書いた作品ではなく、プロの作家の方がこ のような試みを実践してくだされば、社会的な影響力もあり、注目されると思い ます。しかし、残念ながらなかなかそのような著者の方が見つからず、大変恥ず かしながら私の本で試みさせていただきました。
今後も「バリアフリー同時出版の試み」が増えていき、このような出版形態が 当たり前になってくれることを願ってやみません。私の今後の課題は、このたび のようなバリアフリー出版の試みが、私の本だけで終わってしまうのではなく、 次につなげていくことです。そのためにも、今回協力してくださった関係各社の ネットワーク化等、横のつながりを作り、著者の方が「バリアフリー出版」を実 践したいと考えただけで、簡単に実現できるような環境を整備していきたいと考 えています。もちろん私だけの力ではとうてい実現できることではありませんが、 いろいろな方々の力を結集することで、何らかの形で次につなげたいと考えてい ます。
今回の「バリアフリー同時出版」を実現するにあたり、障害者等の利用につい て一定の理解を示してくださり、二次出版の許可と協力をしてくださった実業之 日本社の皆さんと、この同時出版の試みに快く協力してくださった関係各社の皆 さんに心から感謝しています。そしてこれからも、私たち当事者だからこそ気が 付くことのできる視点を常に持ちながら、「バリアフリー社会の実現」のために 何らかの形で寄与できればと願っています。
参考資料
書名:
二人五脚 盲導犬クリナムと歩んだ7年の記録
著者:松井 進
問い合わせ窓口及び価格一覧
一般文字版…実業之日本社 03-3535-4441
価格…1,500円(税別)
音訳版…(有)音訳サービス・J
045-441-1674
価格…個人直販 4,050円(税別)
公共図書館等団体向け 13,500円(税別)
点字版…(有)オフィスリエゾン
0774-56-3907
価格…15,000円(非課税)
大活字版…(株)大活字 03-5282-4361
価格…標準22ポイント 9,000円(税別)
(大活字オンデマンド出版により、注文製作可。)
マルチメディアDAISY版…NPOひなぎく
052-350-5332 (注文は上記大活字)
価格…4,760円(税別)
(この原稿は「出版ニュース」(洋泉社発行)2001年10月上旬号より転載しました。)