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音訳との出逢い
南 裕子(みなみ ゆうこ)
 

青森テレビのアナウンサーをしていた私は、結婚後 横浜に転居し、下の息子が三才になった頃から、婚礼の司会や舞台朗読を始めました。
ところが、仕事も充実して、すべてが波に乗ってきた矢先に、突然、仕事を辞めざるをえなくなりました。
理由は、先天性股関節(こかんせつ)脱臼。
激しい痛みのため、歩くことはおろか、立っているのもつらくなり入院。
手術することになりました。
右足を人工の股関節に替えること、もとのように歩けるまでには、そうとうなリハビリが必要なことなど、たいへんなショックを受けました。

その私を励まし、力づけてくれたのが、入院先の患者さんたちの姿でした。
その病院には、脊椎損傷や、脳性麻痺など、私より重症な方がたくさん入院されていたのですが、皆さん、明るく、必死で頑張っていらっしゃいました。
メソメソし、悲観的になっていた自分が恥ずかしく、1歩ずつでも歩けるように頑張らねば、という気持ちになったのです。
おかげさまで4ヶ月で退院し、しばらくは2本杖をついて生活し、3年ほどかかって、杖なしで歩けるようになりました。

この時の経験は、私の考え方・生き方を大きく変えました。
それまでは「自分が好きで楽しいから」と、いわば、自分のためにやっていた仕事に、むなしさを覚えるようになりました。
そして、自分がプロとしてやってきたことをいかして、何かもっと有意義で人の役に立つ仕事がしたいと考えるようになりました。

私が音訳と出会ったのは、ちょうどその頃でした。
「音訳者募集」という、たった3行の新聞広告が目にとまりました。
問い合わせると、視覚障害者のためのテープ図書を製作している会社で、ボランティアではなく「プロ」の仕事として委託している、「週刊アエラ」も音訳している、という説明でした。
自分の求めていた仕事はこれかもしれないとすぐに思い、何か不思議な縁を感じながら、「アエラ」の音訳をするようになりました。

音訳を始めて2年半。
この仕事は、最初考えていたよりずっと面白く、また難しくもありました。
自宅で雑音が入らないように録音すること、写真や図・グラフを的確に説明することなど、いまだに四苦八苦しています。
毎回、反省材料ばかりが残りますが、それが私の活力にもなり、私自身多くのことを学ばせていただいています。

2000年7月から、テープ版アエラが4巻から2巻の抜粋版となりました。少しでも多くの記事を入れるため、以前はテープの片面(45分)に雑誌7ページ分ほど入れていたのを、10ページ分入れるようになりました。
非常に早口で読まなければならなくなり、利用者の方にとって聞きにくくないだろうかと、少し心配です。
また、入れることの出来なかった記事の中に、魅力のある記事がある時など、とても残念に思っています。

このたび、利用者の方が発起人となり、テープ版アエラを以前と同じ形態(原本と同価格、広告も含めた全文音訳)とする事を目標に、「アエラのテープ版を支える会」が立ち上げられたと聞き、すぐに、その輪に加わらせていただきました。
微力ながら、自分にできることはないか、利用者の皆さんや音訳仲間とともに考えていくつもりです。
何らかの方法がみつかり、再び、すべての記事を提供できるようになってほしいと、心より願っています。
 

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