二00二年九月
文化会館便りは今回が丁度百回目になる。初めは気楽に引き受け、いくらでも
書くことがあるような気がしていた。第一、八年四ヶ月も書くとは思っていなか
った。最近はいささか青息吐息、ネタ切れと、自分の文才のなさが情けなくなっ
ていた。
とそこへ、郵便小包が送られてきた。
開けてみると、一冊の小冊子、本の表題に「百日のエッセー神山順一」とある
。
神山君は、去年の丁度今日、八月四日に、肺癌で亡くなった同い年の親友だ。
その一周忌に、夫人が遺稿をまとめて、親しかった者に送ってくれたものだった
。
読んでいるうちに、驚愕が走った。論旨の明快さ、選び抜かれ、刻みつけられ
た言葉の存在感、その配列の良さ。ひるがえって自分の文章の稚拙さを改めて思
い知らされた。
彼は、死期が近づいことを知ると、それまでの日記を一切焼却し、四百字詰原
稿用紙一枚のエッセーを書くことを思い立つ。それが去年の五月から死ぬ三日前
まで百日続く。三日前でも頭はクレバーだ。
神山君は、元NHKの報道番組のディレクターで、ニュースショーのはしりである
スタジオ102を、企画し立ち上げた男である。でも、上司とは意見が合わなか
ったらしい。絶筆となった死ぬ三日前の日の前半は、「昔、まだ30代の頃、ニ
ュースショーの制作をしながら、『俺はいったい何をやっているのだろう』とい
う疑問にとりつかれた。毎日の仕事の素材である『ニュース』が、いつも自分の
経験や問題意識の流れと関係ない所から発生するのがイヤになったのである。『
ニュース』がただの消耗品にしか見えなくなってしまった。『ニュースとは要す
るに他人の不幸をえがくものなのですね』などと口走って部長に睨まれたりもし
た」とある。
間もなく彼はテレビから追い出され、ラジオの「時の人」という番組に移って
きた。そこで私との交流が始まった。
彼の口癖である「インタビュー番組は、人と、テーマと、聞き手、を選んだら
、ディレクターの仕事は終わり」と宣言するように、この筋立てで、こう聞け、
というような指示は一切しなかった。だから、彼に選ばれた聞き手である私は、
相手だけでなく、彼とも真剣勝負をしなければならなかった。
三島由紀夫にインタビューした時も彼と一緒だったし、沢山の作家、芸術家を
前に、彼は私に何も言わないから、逆に、彼ならどう聞くだろうと、いつもそれ
を思った。
彼は、放送独特の作り物を嫌った。例えば聞き手が、打ち合わせで聞いた話を
もう一度本番で繰り返すなど以ての外だった。だから打ち合わせ中はもっぱら彼
が喋った。
ある時、吉行淳之介を訪ねた。ところが、約束は取り付けてあったのだが、我
々が訪ねる日の少し前にテレビの番組に出た吉行が、「なぜ文学をおやりになる
のですか」というようなバカな質問に腹を立て、つまり、「それが分っていたら
文学なんてやらないよ」ということだろう、生番組中、一言も発しなかったとい
うことが起こった。
行ってみると、玄関に出てきた宮城まり子さんが、「だめよ、お冠だから」と
言い、「でも、まあお上がりなさい」と一応応接間に通された。延々と吉行は出
てこなかった。神山も私も吉行が腹を立てた気持ちが分かるから、ダメでも仕方
ないと思っていた。
すると、一時間もした頃、吉行が、着流しで、憮然として、突風のように入っ
てきた。吉行は無言、二人も黙礼しただけで黙っていた。慣例で、ここでは私は
口を開くことはない。開くなら彼だ。
すると、しばらくして彼が言った。「吉行さん、総入れ歯ですってね」
吉行、ぐっと睨む。「だから、何なんだ」
しばらくの間。「私も総入れ歯ですから」
またしばらくの間。神山はまだ三十代。「何本抜いた」と吉行。「全部、いっ
ぺんにです」と神山。
とたんに、吉行の顔が突如ほぐれ、いやそれはすぐに尊敬の目の色に変わった
。
もちろんそのあと二人の話ははずみ、私にバトンタッチして収録は無事にすん
だ。
これには後日談があり、吉行、団伊玖磨、神山の三人が、「総入れ歯三人の会
」を結成し、やれ「寿司屋で上がりを飲む時、ずうーんと顎の金属が熱くなる感
触がたまらない」とか、「自前の歯の奴らの口中の不潔さは気が知れない、俺達
は清潔そのものだ」とか、勝手な熱を吹きまくった。
その頃私は、我が家で、若手のアナウンサーが集まってくる「杉澤サロン」と
いうのを開いていた。神山君は、そこにいつも、牢名主の位置で坐っていた。森
本毅郎、松平定知君なども、こっぴどくやられた口だ。初めはむきになって反発
した彼らも、いつか神山教の信者になっていた。彼は、仕事の時には一切口を出
さずにアナウンサーに任せた。でも、日常は厳しく、時に辛辣だった。でもそれ
が明らかに的を射、本質を衝いていたから誰もが彼を尊敬した。あの頃のアナウ
ンサーは私を含め彼に育てられたと思っている。
さきほどの絶筆の後半を記すと、「『ニュース』と自分の折り合いをつけるた
めに、なんらかの工夫が必要だった。そうして、『人間』と『現代』という二つ
の抽象語を頭の天辺に貼りつけたのである。思いきり抽象度を高くしたのがよか
った。『人間』と『現代』は、個々のどの『ニュース』ともうまくひびき合って
、タテの呼吸をはじめた。二つの抽象語は、わたしと『ニュース』との間に、新
しい血の通う結び目になったばかりか、それぞれの内容と色彩を増していった」
神山、君は終始、「考えるということは、書くという行為にしかない」と言っ
ていた。今、『ニュース』は垂れ流し状態で、日々消耗品の様相を深めている。
でも君は、『人間』と『現代』を頭の天辺に貼りつければ、書くことがないなど
いうことはないと言う。僕も、君の絶筆を頼りに、もう少し生き、書いてみたい
と思うようになった。

(625)足柄便り(あしがらだより)
杉澤 陽太郎(すぎさわ ようたろう)著 そぞろ工房刊 テープ版/DAISY版/CD版
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