一九九八年八月 若い頃、テレビ番組の打合せで、陶芸家の浜田庄司さんを益子に訪ねたことがあった。実はその頃、私は、民芸というのをあまり好きになれなかった。友人に熱狂的な民芸の信奉者がいて、その、あまりに確固としたもの言いにうんざりしていたせいもある。 また浜田さんその人もテレビで何度か見ていたが、熱弁をふるって滔々と「民芸こそ」と語る姿に、いささか暑苦しい印象を受けていた。だからこの訪問は、初めから私に謙虚さが欠けていた。
獏とした記憶だが、浜田さんのお宅は、見渡す限りの田圃の中に、土塀を巡らし、中央に白壁の大きな門のある、栃木の農家によく見られる構えだった。 門を入ると、外国人が数人、庭の中をもの珍しそうに眺めているのに会った。その中に丸眼鏡の浜田さんの小ぶりな姿があった。 浜田さんは、来客中なのでしばらくここで待つようにと、私を、一つの棟に案内した。そこは収蔵倉のようだった。 その時、浜田さんはこう言った。 「ここにあるものは世界最高のものばかりだ。だが私は蒐集家ではない。これらと巡り会ったとき、私は衝撃を受け、必死に勝負した。その感謝に金を払った。これらはその名残なのだ。全て勝負は終わっている。」と。 その言葉の意味が少しでも理解できるようになったのはずっと後のことだ。二時間近く待たされている間、外国人たちに説明している浜田さんの大きな声が遠く聞こえてくる度に、また説教かと無性に腹立たしかった。 こんな織物の切れっぱしや土器の欠けらのどこがいいのだ。・・・・結局、私には何も見えなかったし、また見ようともしなかった。やがて浜田さんが戻ってきたとき、私の顔を見て、さぞがっかりしたことだろう。 多分、浜田さんは、テレビで自分の話の聞き手を勤めるこの若者がどの程度の者か、試してみたかったのに違いない。 だが、そこからが浜田さんだった。何と、私の教育を始めたのだ、と後になって思う。まず仕事場へ連れて行き、一から様々なことを、それこそ熱心に教えてくれた。私もこれには興味があったから夢中で聞いた。 その後、私を、焼き損ないの陶器が山と積まれているゴミ捨て場に連れて行った。 浜田さんは言った。「この中から、君に一つだけあげるから好きなのを選びなさい」 私が躊躇していると、「民芸とは雑器だ。ふだん使うものだ。ここにあるのは、少し傷があって商品にこそならないが、見方によっては、君を驚かすものがあるだろう」 なおも躊躇していると、浜田さんは、小さな醤油指しを一つ取り上げた。「これは中々いいな」と宙にかざして眺めている。 その時、私は何と恥ずべきことをしたことか。そこには、例の、浜田庄司を代表する黒の大皿も沢山捨てられていたのだ。真っ当なら何万、何十万するだろう。しかもほんの僅か釉薬の部分に傷があるだけのものもある。私は言った。「これでもいいですか」 浜田さんは、その皿を手に取り上げ、じっとしばらく眺めてから、「うん、いいだろう」と言った。そして、自分で、高台にやすりをかけてくれた。その時、こうつけ加えた。 「使うんだよ。使ってるうちに、この傷は消えてしまう。飾るんではないよ」と。 美術品など何一つ持っていなかった私は、内心ひどく儲けた気がしていたに違いない。そのあと、母屋の囲炉裏を囲んで夕飯を御馳走になったが、浜田さんの話は途切れることがなかった。核心は一つだったようだ。 「美術品を見る目を養いたかったら、まず作品を買いなさい。身銭を切ることだ。君が年にいくら給料を貰っているか知らないが、その二年ぶんぐらいの金を払って、本当にいいと思ったものをまず買いなさい」
もうすっかり暗くなっていた。私は、浜田さんと奥さんに門まで送られて、タクシーに乗り込んだ。大皿をしっかり抱えて。 タクシーが動き出す。車中からお二人の方に頭を下げる。車は土塀に沿って走り、一度右折し、またしばらく田圃道を走り、もう一度右折する。すると、右側の窓に、遠く、浜田邸の明かりが見えた。 その時だった。私は、慄然とした。 夫妻が、門の前に立って、私の車を見送っていたのだ。あるいは、老夫妻が、ついでに夕景を楽しんでいるのかとも思った。しかし、夜目にも、お二人がはっきり、こちらを見送る姿勢をとり続けているのが分った。 小賢しい小わっぱ、欲をかいて大皿に手をのばした見下げた奴を、老大家が見送っている。「何たることだ」・・・・恥ずかしかった。 あれから四十年が過ぎようとしている。 身銭を切らなければ、何物も、何事も、身につかないものだ、ということが、今では私にも充分実感できる、時の流れだった。
ある時、白州正子さんが私にこんな話をしてくれたことも併せて思い浮かぶ。「荒川豊蔵さんのお宅に伺うとね、ふだん使っているこまごまとしたものがすごくいいのよね。もう、欲しくて欲しくて。でも、それは、どうしても言い出せないことなの」 当代屈指の美術眼を持ち、お金持ちの白州さんは、荒川さんの大作なら、いくらでも美術商から買うことが出来るだろう。だが「ふだん使いの雑器を欲しい」とは、親しい間柄だけになおのこと言い出せなかったという。あの醤油指しに、白州さんなら、随喜の涙を流しただろうにと、思う。 大皿は健在である。 浜田さんに懇々と言われたのに、やはり初めは飾ってしまった。だが途中から、使うことにした。すき焼きの野菜を盛ったり、ひとの集まる時には、白いおにぎりを山と積んだりする。おにぎりの数が減っていくと、誰かが必ず言う。「おいおい、これ、浜田庄司じゃないか」 もちろん多少はらはらして、使っている。だが、使って初めて、あの黒の地肌が、生き生きと呼吸を始める、陶器は生きものだと、ようやく私にも分かってきた。

(625)足柄便り(あしがらだより)
杉澤 陽太郎(すぎさわ ようたろう)著 そぞろ工房刊 テープ版/DAISY版/CD版
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