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音訳:NHK日本語センター 岩井 正アナウンサー
もう四十です
 

                                   一九九九年正月
 先日私たちの朗読グループで、「太宰治・没後五〇年」という朗読フォーラムを開いた。太田治子さんをゲストに、仲間の朗読を挿みながらの、なかなか良い会だったと思う。司会は河路勝君、彼は私の後の日本語センター長を勤めた元NHKアナウンサーだが、もう三〇年も前のこと「日曜美術館」の初代司会者でもあった。その時のお相手が太田治子さんだった。その後もずっと仲良しであるらしい。話の中身は、実に重く、濃いものであったが、二人の話合いは小犬がじゃれ合っているようで、楽しくてつい時間を忘れた。そんな中での、本論とは関係ない話。
 河路君が、「太田さん、いくつになられました?」と聞いた。「まあひどい、五十だってすぐ分るくせに」と、太田さんは怒る。それはそうだ、太宰が亡くなったとき、太田さんは 一歳だったことは誰でも知っている。「女性にだけ歳を聞いて!河路さんはいくつなんですか!」太田さんは迫る。河路君別に自分の歳を隠す気はないが、自分の歳など本筋ではないから、何やかやと誤魔化している。太田さんは許さない。あまり迫るので河路君、仕方なく、「六十うん歳です」と答える。「何それ、六十一歳も六十歳も六十代じゃないのお!あたしだって、ついこの間まで『はあ、四十うん歳で』で良かったわけね」と、なかなか矛を収めない。もう会場は、苛められる河路先生に大拍手だった。
 私は、ふとある日のことを思い出した。
 前にも蓼科での佐田啓二のことを書いたが、あの時は脚本家の野田高悟さんを訪ねたのだった。(そういえば河路君も一緒だった)
 小津安二郎監督が亡くなったばかりで、もっぱらその思い出話になった。その時、野田さんの話の中に、「小津君が三十代の後半の頃ね、彼が、ひとに、『僕三十七です』とか『三十八です』とか言うのでね、『君、未練がましいよ、もう四十です、と言い給え』と言ってやったんだよ」というのがあった。なぜ、そんなことばを覚えているのか自分でもよく分らない。あの、白いピケ帽をかぶりチョビ髭をはやしたお洒落な小津さんにそんな一面があったのかと、ちょっと面白かったのかも知れない。当時私はまだ三十になったばかりだったし、四十という歳は遠い存在で、何も気になっていなかったと思う。だが不思議に耳に残っていて、その後、四十、五十、六十と、大台が近づく度に、その言葉が思い出された。三十七になった時には、少し気取って、「もう四十です」なんて言ってみたりした。だが、だんだん大台が大きくなると、言いたくなくなる。私も現状では六十ウン歳だが、もう七十ですとは、あまり言いたくない。ぎりぎりまでまだ六十代でと、未練がましいのだ。全く、何たることか。

 今度のフォーラムでも話に出たが、太宰も四十になるのは嫌だったらしい。四十までに死にたいと言っていたようだ。三島由紀夫も私が最後に会った彼の死ぬ少し前、ボディビルで鍛えた体を誇りながら、四十過ぎたら醜悪だというようなことを言っていた。もちろん、彼らの言っているのは、現実の肉体だけのことではあるまいが。
 フォーラムの終わったあと、太田治子さんと短い時間お茶を飲みながら、では、川端さんはなぜ自殺したんだろうという話になりかけたが、そこで話すにはあまりに重いテーマで、それ以上は避けて別れた。 家へ帰って、一人酒を飲みながら、例によってぶつくさと、「彼も、彼も、作家はみんな早く死んでしまったのに、なぜ、俺はこんな惨めな老醜を晒しているんだろう」とぼやいていると、まず家内が、「あんたは作家じゃないじゃないの!」と強烈なパンチ。続いて二十四になる末の息子が、私の落ち込みを見かねて、説教してくれた。
「人には、この世でやるべきことが神さまから与えられているんだよ。二十歳で死んだ子は、きっと何かやるべきことをやったんだ。おやじはまだやってないんだよ。だから死なせて貰えないんだ」「だって、俺、そんな大それたこと出来そうもないよ」「やるべきことって・・・・・おやじの決めることじゃないだろ。神さまの決めることだよ」なるほど。
 洋画家の林武夫人は、夫にもまして天才的な人だったが、彼女の口癖は、「ひと一人のためになるうちは・・・・(生きる)」だった。「ひと一人のためになるうちは・・・」
 そうだなあ、本当に。誰でもいい、誰かのためになるようなこと、まだ何もしていないなあとつくづく思った。だからまだ神さまの台帳には、この世に生きたことになっていないのに違いないと思った。

 本人に聞いたことはないが、畏友栗田勇の一番好きな言葉は、栂尾の明恵上人の、「阿留辺幾夜宇和」(あるべきようは)ではないかと想像する。それだけこの言葉には深いものがあるのだろう。ただ、この言葉、単純に解釈すれば、「あるべきように」生きるということで、男は男らしく、女は女らしく、父は父、母は母、子は子、僧侶は僧侶らしく、ということだろう。当然、年寄りは年寄りらしくということになる。だから、最近、この言葉を反芻する事が多い。年寄りらしく生きないとみっともないぞとも思う。
 だが栗田によると、この七文字は、「現世の規則や規律に従えというのではない。むしろそんな組織や固定観念も捨てて、自然に己のまことの姿に忠実であれという。道元の説いた心身脱落もそうである。良寛の奇行に充ちた生き方とは、この七文字に尽きるのではないだろうか」ということになる。
 儒教道徳で育った私などは、逆に孔子さんがあまり好きではないが、その孔子は、七十になったら、「心の欲するところに従いて矩を踰えず」だと言っている。「矩を踰えず」ばかりに目が行き、「社会の規則や規律」にがんじがらめの窮屈な教えと思ってきたが、あるいは違うのかも知れない。むしろ「心の欲するところ」とは、どんなこと、どんな状態、と思うと、また別な意味にとれてくる。私も、「もう七十です」。「心の欲するところ」を見つめないといけない。


 

(625)足柄便り(あしがらだより)
杉澤 陽太郎(すぎさわ ようたろう)著
そぞろ工房刊 テープ版/DAISY版/CD版
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